日本のどこかで解体屋として働くS.H氏は、アンダーグラウンドな職人の世界をサバイブしてきた、知る人ぞ知る人物。本連載は、そんな人生の中で起きた、声を大にして言えない刺激の強すぎるエピソードをエッセイ形式で伝えていきます。記念すべき第一回は、当時働いていた関西の解体屋で起きた、まるでヤクザ映画のワンシーンみたいな話。
illustration KTYL specialthanks Ikke
“初めての出勤で事務所に行ったら、全員黒人だった”
関西の職人って、良くも悪くもイケイケだと思う。俺も10年前くらいに大阪の解体屋で働いてたことがあった。そのときはトラックの運転手になりたかったんだけど、なんかの手違いでその会社に入ることになった。まず面接に行くんだけど、4F建ての中の営業とか事務員とかのいるフロアに案内されたから、「みんなスーツでいい会社だな」って思ったけど、実際出勤したら職人が全員黒人だった。「住所間違えたかな?」って本気で思ったよ。ちなみに、うちにはワケのわからん本部長とか局長っていう役職があって、顧問っていう役職の人たちが週に2-3回高級アルファードで会社に来る、みたいなところだった。たぶんケツモチみたいな人たちなんだろう。
まあ半分ヤ〇ザみたいな、良くない会社かもしれへん。警察もしょっちゅう来てたし、何人か捕まってる。でも、大阪では名の知れた会社で、正月とお盆以外は休みなく働いていて、みんな仕事に関しては誰よりも一生懸命だった。ちなみに、大工の発祥は奈良の金剛組って言われてて、”関西の職人は偉い”みたいな風潮があったんだけど、そう言う意味も含め、仕事への誇りは持っていた気がする。
よく「他の会社に舐められるなよ」って言われてた。先輩に「〇〇のインター降りたら舐められるなよ」って言われて、意味がわからんから、とりあえず他の解体屋の車を4トン(10トン)ダンプで煽りまくってた。そういう意味じゃなかったかもしれないけど、当時は俺らもアホだからそういう解釈をしてた。
そういえば、先代の社長の葬式とかもすごかった。まず、死因がまさかの切腹だったんだよね。事業に失敗したかなんかで借金が10億くらいあって、息子に「俺の保険金で会社立て直せ」って言って死んじゃった。事務所の4階が何故か知らないけど和室の部屋になってて、そこで白装束を着て切腹したんだよね。それが昭和じゃなくて、ほんの12,3年前の話だからビックリだよね。
そんな生き様(死に様)におっちゃん連中も洗脳されてるから、「オヤジー!」って泣きまくってたよ。それで葬式の時の話なんだけど、霊柩車が走る時にちょうど阪神高速から会社が見下ろせるから、会社の全ダンプ、全重機を一緒に走らせて送り出そうってことになって。ちゃんと片側をゆっくり走る許可をとって、10kmくらいのスピードでダンプ30台、重機20台くらいが霊柩車の後ろについて一緒に走った。「これなら会長も寂しくないだろう」ってことらしいけど、とにかくすごい光景だった。
あとは他の会社とのトラブルとかも結構多かった。うちの会社があったのは河川敷の近くで、そこに解体屋とか産廃系が集まってて、うちの会社は一番入り口側にあったんだよね。で、その奥にある会社と揉めちゃったことがあって。理由は詳しく知らないけど、そこにお客さんを行かせないように、ライバル会社の前の道路に穴を掘って(!)通行止めにして、強制的に客をうちに呼んだりとかしてた。
最終的には、会長のお抱えの運転手をしてた奴がいて。そいつが事務所にベンツで突っ込むみたいな。そいつも「行きます!わかりました!」みたいな感じでやる気だった。で、その事件があった後に、最終的には相手が謝ってきて、うちの主張(何を求めたのかわからないけど)が通ったんだよね。
まあそんな感じで、特にここで学んだことがあるっていうよりも、とにかく刺激的で楽しかった。荒くれ者には最高の会社だったよ。